物質としての作品の存在
なぜ絵画を経て、デザインと言うものを踏んできてしまったのか。
この順で踏んだからこそ 自分の作品がどう言った質のものであれ、印刷物ではどうしてもリアルの自分の作品として認識できなく、アレコレとこの作った画面をリアルに落とし込む手法を模索しています。
今回のものがうまくいけば、やっと一つ、1番納得に近いものが出来るはず。
そのための実験と試行錯誤を延々と。
これは先日見つけた、コンセプトのあるアートラインの作品と、純粋にクリエイションを楽しむためのラインの作品との区別で片付く問題とはまた別の問題で。
これら二つを区別してかなり制作物に対する悩みは減りました。
そして作り出す画面としては(今の所)概ね今の作品たちを自分の頭の中の作り出したいモノから比べて概ね遜色ないものを作れていると思う。
(これにはさらに突き詰めていく余地は問題ではない)
作品の物質としての存在。
デジタルという制作過程を選んでいるからこそ、ここに開いた大きな穴をどう言う形かで埋めるということが今自分の制作というものに必要なのです。